2013年 09月 18日
ああ銭湯 |
以前住んでいた街には銭湯がいくつかあって、
広いお風呂に入りたいなー、なんて日には入りに行った。
お気に入りは2つあって、その日の気分にあった銭湯に行っていた。
広いお湯にどぼんとつかり、ほわんと立ちのぼる湯気につつまれながら、
常連さんたちの会話に耳をすませたり、
おばあちゃんのまあるい背中や刻まれたシワなんかをぼーっと眺めていると、
心も身体もゆるゆるしてきたのだった。
家の近くにあった昔ながらの銭湯は、
佇まいもステキだったし、富士山の絵や古びたロッカーなど味わい深くて好きだった。
残念ながらその銭湯は今はもうない。
ある日、番台のおじいちゃんが銭湯がつぶれることを教えてくれた。時代の流れだという。
その時のやりきれなさそうなおじいちゃんの顔がやきついて、
また壊されるところを見たくなくて、それからその場所には行かなかった。
家から少し歩いたところにある、ちょっと味気ない銭湯へもよく通った。
番台のおばちゃんは感じ悪いし全体的にいまいちだったけれど、
近くにおいしいモツ焼き屋さんがあったことが1番の魅力だった。
風呂あがりにビールを飲んで、レバ刺しと串を何本か食べて帰った。
時々は餃子屋へ行った。ビールと小鉢と焼き餃子、お腹が空いていれば水餃子も。
風呂あがりのビールと肉は沁みいる。
私が好んで銭湯帰りにひとりで寄る店は、帰ってからまたお風呂に入らなければならないような煙と油にまみれたお店ばかりだった。
今住んでいる街には、残念ながら通えるような銭湯がない。
銭湯通いが日常的だったあの頃の思い出は、今も心のなかにあたたかく残っています。

広いお風呂に入りたいなー、なんて日には入りに行った。
お気に入りは2つあって、その日の気分にあった銭湯に行っていた。
広いお湯にどぼんとつかり、ほわんと立ちのぼる湯気につつまれながら、
常連さんたちの会話に耳をすませたり、
おばあちゃんのまあるい背中や刻まれたシワなんかをぼーっと眺めていると、
心も身体もゆるゆるしてきたのだった。
家の近くにあった昔ながらの銭湯は、
佇まいもステキだったし、富士山の絵や古びたロッカーなど味わい深くて好きだった。
残念ながらその銭湯は今はもうない。
ある日、番台のおじいちゃんが銭湯がつぶれることを教えてくれた。時代の流れだという。
その時のやりきれなさそうなおじいちゃんの顔がやきついて、
また壊されるところを見たくなくて、それからその場所には行かなかった。
家から少し歩いたところにある、ちょっと味気ない銭湯へもよく通った。
番台のおばちゃんは感じ悪いし全体的にいまいちだったけれど、
近くにおいしいモツ焼き屋さんがあったことが1番の魅力だった。
風呂あがりにビールを飲んで、レバ刺しと串を何本か食べて帰った。
時々は餃子屋へ行った。ビールと小鉢と焼き餃子、お腹が空いていれば水餃子も。
風呂あがりのビールと肉は沁みいる。
私が好んで銭湯帰りにひとりで寄る店は、帰ってからまたお風呂に入らなければならないような煙と油にまみれたお店ばかりだった。
今住んでいる街には、残念ながら通えるような銭湯がない。
銭湯通いが日常的だったあの頃の思い出は、今も心のなかにあたたかく残っています。

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by awauta
| 2013-09-18 00:12
| 日々のつぶやき